このページの本文へ移動
ページの先頭です
以下、ナビゲーションになります
以下、本文になります

キャリア形成のための支援

本学では、キャリアパス支援の一環として、アカデミア、企業官公庁等を問わず
様々な分野の博士学位取得者の方から、ご自身の経験や現在の状況について伺う
「博士キャリアカフェ」を定期的に開催しています。
本ページでは博士キャリアカフェの開催を報告いたします。

2023年度

2023年度 第2回博士キャリアカフェを開催いたしました。

第2回 博士キャリアカフェ

アカデミアで働く 〜教育,研究,そして社会〜

【開催日】2023年10月24日(火)12:15~13:15 (オンライン開催)
【講師】 野村 実 先生(大谷大学社会学部 講師) 博士:社会学

今回は,2018年3月に立命館大学大学院社会学研究科応用社会学専攻博士後期課程(在学中に学振DC2に採用)を修了後,大谷大学文学部助教,立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員を経て,2022年4月から大谷大学社会学部コミュニティデザイン学科で講師を務めていらっしゃる野村実先生にご講演を頂きました。

1.大学~博士前期課程
 大学院に進学した理由からお話したいと思いますが,私は,立命館大学産業社会学部人間福祉専攻に所属し,地域福祉のゼミで学んでいました。ゼミのテーマは,地域の移動をどう保証するかとか買い物弱者の問題をどう捉えるかということでした。このように地域や社会で起きている問題への興味が出発点になり,これらをどのように解決・改善していくかということに興味を持つようになりました。地域での移動・交通の問題は深刻だと考えていましたが,ゼミの先生から,これは将来的にも深刻になるから,しっかりと研究した方が良いというアドバイスを頂き,自身の研究テーマになりました。参考までに大学時代のお話をしますと,当時,兄が同志社大学に在学しておりまして,その就職活動を手伝ったというのが,一つの原体験になっています。入学した当時は,まだ,スマートフォンは普及していなかったため,パソコンでエントリーをしているうちに,就職とは何かということを考えるようになりました。それから,それまでは金髪だった友人が,2回生くらいになると,急に黒髪にしてスーツを着て企業説明会やインターンシップへ行くようになり,「何かがおかしいのではないか」と思いました。自分が,そういった場に行くことの想像がつきませんでしたし,周囲と同じことをしなくてはならないという状況に,少し違和感を覚えました。大学院へ進学したきっかけですが,2回生の終わりに,アメリカのボストンへ1カ月あまりの短期留学に行きました。その際に,自分の親戚が留学先の大学で働いていたのですが,そこで,そのような(アカデミアで働くという)選択肢があることを知りました。もちろん,アメリカで大学教員になることは,難しいことは分かっていたのですが,せめて,日本でそういったことができる可能性があるならば,やってみたいという意識を持ちました。この後,3回生で配属されたゼミで恩師と出会い,研究者,特に大学教員を目指そうという思いが強くなりました。私の指導教員は,「誰かがやらなければ社会問題は解決しない」という姿勢で調査や研究に取り組んでおられました。現在,私が研究している交通やモビリティとは全く異なる,障害児者に関する研究がテーマでしたが,その思いや姿勢に,3回生の自分は,すごく憧れを抱きました。その姿を見て,大学の教員を目指そうと強く思うようになりました。

2.博士前期課程~博士後期課程
学部時代の卒業論文は,「高齢者の移動保障とデマンド交通に関する研究」をテーマに執筆し,博士前期課程に進む際には,大学院入試の説明会に何度か足を運び,学部時代の恩師の下で「研究コース(博士前期・後期課程一環)」を選択しました。あまり躊躇はしなかったと思いますが,どうせ修士課程に行くなら,博士課程まで行きたいと考えていました。卒業論文は,単一の事例研究でしたが,修士論文では,比較事例研究をしようということで,デマンド型の交通に取り組む複数の事例を取り上げました。ただ,博士前期課程では,何度も挫折を経験しました。M1の時には,学内プログラムでの国際学会発表や国内での学会発表を重ね,比較的,順調なイメージでした。そして,修士論文の執筆に向けた調査も無事に終え,博士後期課程への進学に向けた準備を進めていたのですが,M2の5月に,学振(DC1)の不採択通知を受け取りました。今になって考えると,DC1の採択率は,非常に低いことは分かるのですが,申請書を書いていた当時の自分は,研究のテンションも高い時期だったので,すごいショックでした。これが1番目の挫折でした。その後,M2の12月に学会奨励賞と学内のコンテストの賞を受賞し,成果を得ることもできました。何よりも修士論文の一部と博士後期課程に向けた展望について,評価をして頂いたということが,自身のモチベーションの向上にも繋がりました。学振はダメだったけれども,また,頑張ろうと思うきっかけになりました。さらに,研究計画を立てつつ,目の前の研究を進めていくというマルチタスクの練習にもなったのではないかと思います。もちろん,目の前の研究を進めなくてはいけないのですが,その先に,どのような研究をしていくのかという計画であったり,マイルストーンを設定したりという練習ができました。

3.博士後期課程~ポスドク
 次に,博士後期課程からポスドクの話になりますが,博士前期課程では,社会福祉協議会という,これまで一般的ではなかった公共交通アクターに着目して,なぜ,地域福祉の視点から移動を保障する取り組みがなされているのかという調査を行いました。これに対して後期課程では,自治体や交通事業者,住民組織という他のアクターの役割及びその変化にも目を向けて展開しました。前期課程では,比較的新しいアクターに注目して,後期課程では,これまで取り組んできたものの役割が少し変わったりとか,住民組織がボランティアで担っていたりとか,このような変化があるということで,多様なアクターの地域交通への取り組みを研究しました。そして,2回目の挫折になりますが,D1の5月頃に大学院の先輩から,「専門学校の非常勤講師をしてもらえないか」というお話を頂きました。自分としては,教育経験を積むことができるせっかくの機会ということで引き受けたのですが,これが,結構,大変でした。資格を取るための授業だったのですが,1年目の授業の準備は,かなりの時間を要することになり,自分にとっては,かなりの負担になりました。その結果,授業用の資料を作っていたら,大学院のゼミの資料の準備が思うように進まないということが起きました。後期課程進学後は,結構,張り切っていたのですが,思わぬところで引っかかってしまいました。他の先生方に聞いてみたところ,同様の経験をされたようですが,自分としては,ここで,かなり躓いたという意識を持っています。かつ,この専門学校の学生の半分くらいは社会人だったので,当時,24歳くらいの自分が50歳から60歳くらいの方々に「社会の理解」という科目の授業を行うことは,結構しんどかったです。
次に,後期課程における幾つかの転機についてお話します。事前に頂戴した質問にも「ターニングポイントは,いつでしたか」というものがありましたが,正にD1くらいだったと思います。研究が思うように進まずに落ち込んでいた時期に,学振DC2の採用内定通知があったことが挙げられます。少しタイムラグがあると言いますか,D1の5月くらいに頑張ったことの成果が,10月くらいになって現れたという感じです。当時の自分は,かなり落ち込んでいたのですが,学振の内定を頂いたことで,もう一度頑張ろうという気持ちになりました。そこで,D1が終わる間際に,博士論文の中心となる複数の事例地域及び取り組みに関わる人と出会うという,結構,大きな経験を得ました。それから,学会のパネリストのような依頼を少しずつ頂けるようになりました。これも,1つのターニングポイントだったのではないかと,今になって考えると思います。学振に採択されたということもありますが,そこから,何としてでもD2とD3で頑張って,3年目で博士論文を提出しようとなり,フィールドワークを基に,国内外の学会で継続的にアウトプットを出すことができました。そして,D2の中盤で,博士論文提出の要件である3本目の査読付き論文の採択が決まったことも,ターニングポイントの1つになるかもしれません。つまり,心理的に安心できると言いますか,あと1本が足りずに要件を満たせない先輩方を見てきたので,早めに何とかしたいという思いがありました。そういったところで,D2の中盤で最低限の要件を揃えることができたということは,良かったと思います。その後は,D3の9月に予備論文を提出するために,博士論文の構成を考える作業に着手しました。この際に,博士論文や博士論文を基にした単著を自分の専門分野以外も含めて沢山読んだのですが,これも良い経験となりました。一般的な書籍と違って,博士論文を基にした単著というのは,クセやパターンがあることがわかり,これを参考に自分も書けばよいのかなと思うようになりました。3年目で博士号が取れる見込みができたことから,D3になってからは,大学教員の職に就くための様々なポストに応募し続けました。しかし,不採用の連続ということで,この辺りからは,n回目の挫折になりますが,理由としては,博士号が未取得の段階ということが考えられます。大学教員の公募の場合,博士号取得済みという前提条件が求められることが,結構,あります。また,専門の科目は何かという問題についても,後々,付きまとうことになります。こうやって就職活動を続けることは大変だったのですが,たまたま,大学院の同期で,既に他の大学の教員職に就いている方から,大谷大学の任期制助教のポストをご紹介頂き,応募したところ内定を頂戴しました。無事に博士論文を提出し,博士号を取得した上で,任期付きではありますが,4月から就職することができました。

4.ポスドク~現職
 次に,ポスドクから現職というところですが,就いた仕事は任期が3年で,更新なしという条件でした。1年目から業績を積んで2年目からは就職活動をと考えていたのですが,博士論文を単著にする作業に,かなりの時間を取られてしまい,また,助教になって1年目のために慣れないことも多く,思うように進みませんでした。そうこうしている間に1年目が終了したのですが,所属していた大学院から出版助成を得たこともあり,2019年3月に単著を出版することができました。この単著の出版が3年間の中では,大きな出来事の1つではないかと思います。ただ,また,就活がうまくいかないということが出てきました。助教時代の2年目から3年目に,おそらく20以上の大学にチャレンジしたのですが,いずれも不採用となりました。落ち込みたいのですが,助教という仕事の都合上,講義や演習で学生が目の前にいるので,落ち込めないという状況がありました。大学院生の時には,個人研究室で落ち込むということもあったのですが,それもできないため,結構,辛かったですし,学生の前で,そのような姿を見せることができないという部分もありました。自分の中でも難しい時期だったと思います。最終的には,母校である立命館大学の専門研究員(有給の任期付きポスト)に応募し,恩師の研究室に拾ってもらうことになりました。結果的には,1年で終わることになるのですが,専門研究員は,専門業務型裁量労働制ということで,私の場合は実質的に,かなり自由に研究ができる環境にありました。学振のPDに近いイメージではないかと思います。週に2回の非常勤講師を担当していたのですが,それ以外は,研究に専念できるという,本当に贅沢な時間となりました。後にも先にも,こんなに贅沢な時間はないと思われる状況だったので,色々な本も読みましたし,自分の弱かった部分の理論的な補強に役立てました。また,これまでの研究とこれからの研究を見つめ直す,良い機会になりました。1年目の最初には,幾つかの公募にもチャレンジしたのですが,いずれも不採用となりました。しかし,夏頃に現在のポストの公募が出て,応募し,採用となりました。
現在の大学での仕事としては,コミュニティデザイン学科というところに所属し,地域課題の解決に向けた政策提言や地方部でのフィールドワークを行う「地域交通・買い物アクセスプロジェクト」を担当しています。もちろん,これ以外にも講義や演習もあります。また,研究や教育以外の仕事も多く,各種委員会や地域連携活動にも関わっています。採用以前の段階で,こういう仕事があることについては確認もあったのですが,思っていた以上に多いという印象を受けています。次に,地域や社会での仕事について捕捉しますと,冒頭でお話した地域公共交通会議の委員やアドバイザーのように,現在のポストに就く前から関わっていたものが半分くらい,残りの半分は現在の職に就いてからということになります。現在のポストからは,しばらく動かないだろうという算段の下で,色々な仕事が周りの先生から振って頂くこともあります。任期制ポストの場合には,他の大学に行くことや就職活動もあることから,あまりそういうことはしないということが,暗黙の了解としてあるようなのですが,任期の定めのないポストに就くと,良くも悪くも色々な仕事が回って来ることになります。ということで,現在は,教育,研究,社会の仕事を同時並行で行っているということになります。

5.簡単なまとめ
 最後に,簡単にまとめてみますと,まず,大学で働くということについては,それなりに安定した生活が見込めるというところが,大事ではないかと思います。生活と研究の基盤があるという安心感がありますし,ポスドク時代のような就活への不安感はありません。当然のことなのですが,自分にとっては,本当に有難いことですし,だからこそ,研究へのクリエイティブな発想も浮かんでくる気がしています。もう1つは,研究環境の部分で,研究費の他にも個人研究室を持てることが,利点として挙げられるかなと思います。ただし,こうした研究環境は,国公立や私立,役職,職階によって異なっており,大学によって,それぞれかと思います。大谷大学の場合には,任期制助教であってもそれなりに研究費を頂けたので,自分も色々な調査研究をさせてもらいました。このように研究環境がしっかりとあるということは,大学で働く1つのメリットではないかと考えています。また,大学において研究以外のお仕事も多いということは,これまでも述べてきましたが,講義や演習に加え,特に私学の場合にはオープンキャンパスなどの入試関連の業務も求められることがあります。こういったことは想像したことはないかもしれませんが,意外と多いという印象です。もちろん,大学によるかもしれませんが,本学は,比較的小さな大学のため,学生と教職員が一緒になって,頑張っているという状況です。学科広報チームの運営についても,教員側のスタッフの一員として,他の先生方と一緒に加わっています。自分の指導教員が仰っていた言葉に,「学生の入口(入学)と出口(卒業)を大事にせよ」というのがあるのですが,これは,本当にその通りだと思います。やはり,入学と卒業というものをきちっと大事にしなくてはいけないということで,入学してもらうためのオープンキャンパスであるとか,卒業に向けた卒論の指導であるとかを考えた際に,先ほどの恩師の言葉は今でも自分の大事なモットーとなっています。また,大学の外では,学会や社会活動の仕事が回ってきやすいというのもあるかと思います。例えば,学会の会場の手配や調整などの細々とした仕事もあって,ちょっとした事務能力が試されることもあります。また,社会活動についても,自分の守備範囲以外のところから降ってくる可能性もあるので,その際に,どのような対応ができるかということも問われるかなと思います。例えば,自分は交通が専門ですが,それ以外の「まちづくり」や「まちづくりビジョン」をどう立てるかということも,他の先生から振られたりしました。そういう時には,これが自分のスキルアップに役立つかどうかを考えることも大事かなと思います。
最後になりますが,アカデミアで働くということについては,博士に進むことイコール大学教員を目指すということではないと思います。企業や公的研究機関という選択肢もあれば,それを視野に入れて良いかもしれません。私の場合には,数は少ないですが,交通関係のコンサルタントやシンクタンクも考えていました。しかしながら,自分の研究分野は社会学のため,経済学や交通工学を必要とする分野では勝負ができないということで,あきらめた経緯があります。ただ,なぜ大学で働くのかという問いに対するポジティブな理由を申し上げておくと,自分の場合には,若年世代の教育に携わりたいと思っていたことが,1つとして挙げられます。実際に,働いてみて分かったことですが,4年間の教育に携わることができるというのは,学生の伸びを見ることができます。入った当初は,それほどやる気が感じられなかった学生が,すごく伸びて卒業していくということもあります。そこに携わることができるというのは,大変嬉しく思っています。あとは,教育や社会での活動と自分の研究を絡めていくことに面白さを見出すことができるかということも,大学では重要ではないかと感じています。ご清聴ありがとうございました。

※ ご講演の後,参加した学生との間で質疑応答も行われましたが,内容については,省略します。
【文責:高等研究教育院 加治木紳哉】

2023年度 第1回博士キャリアカフェを開催いたしました。

第1回 博士キャリアカフェ

天職活動のすすめ

【開催日】2023年6月29日(木)12:15~13:15 (オンライン開催)
【講師】 宮本 真吾 先生(京都府立医科大学 分子標的予防医学 准教授) 博士:農学

今回は,2001年3月に同志社大学経済学部を卒業後,2009年3月に京都大学大学院農学研究科食品生物科学専攻博士課程を修了され,学振特別研究員 (DC2-PD) ,コネチカット州立大学, 国立がん研究センター,佐々木研究所,大塚製薬を経て,2022年4月に京都府立医科大学に着任された宮本先生に,ご講演を頂きました。

1.学部卒~参天製薬(MR)
私は,1997年4月に同志社大学の経済学部に入学し,2001年3月に卒業しました。大学時代は,あまり優秀な学生ではなかったので,学業はそこそこに,色々な活動に取り組んでいました。しかし,3年生の頃から,就職活動をしなければいけないという意識が芽生え,自分は何がしたいのかと考えるようになりました。その時に,これから40年余り働くことを考えると,楽しいと思える仕事をしたいという思いが強くなりました。当時は,歌うことに興味があり,2000年に各都道府県で行われたエイベックスのオーディションにも出てみました。案の定,ダメだったのですが,興味本位で出た大学生が受かるようなところではないという現実を改めて認識し,就職についてしっかりと考えなくてはいけないと思いました。そこで,経済学部の自分でも就職が可能で,なおかつ自信をもって取り組める分野は何かと考えたところ,親が薬剤師で,製薬会社に勤務していたという影響もあるかもしれませんが,疾病と薬の分野に興味があることに気付きました。そして,文系で製薬会社に勤められる職種として,MR(医薬情報担当者)があることを知りました。参天製薬に入社したのは2001年4月ですが,MR試験があるため,最初の半年間は現場に出ずに,研修という形で,社内で勉強することになりました。その中で,「疾病と治療」という科目があり,すごく興味が湧きました。その後,試験を経て,現場に行くことになりました。一般にMRというのは,製品の知識を持ってお医者さんに情報を提供すると言われているのですが,皆さん多忙なため,毎回毎回,医学的な話を聞くということはなかなかありませんし,頻繁に新しい情報が出ることもありません。そのため,実際に医学的な知識を使うという場面は,それほど多くないということに気付きました。私は医学的な知識への関心が高かったこともあり,研究に対する興味が,徐々に湧いてきました。たまたま,2001年の年末に開かれた忘年会で,高校時代の友人に会った時に,京都大学の大学院に入学することを聞きました。そして,理系の大学院は,文系の学部卒でも受験資格があることを知りました。それまでは,理系の大学院というのは,当然,理系の学部卒でないと受ける資格はないと思っていたのですが,実際には,学部さえ卒業していれば,受験可能であるということが分かりました。そのため,もしかしたら,研究の道に進めるかもしれないと,ここで初めて考えました。ただ,せっかく会社に入社できましたし,しかも製薬企業なので,退職せずに研究職に就ければいいなという思いもありました。そのため,研究職への転換はできないかという質問を人事部にしましたが,MRであっても文系卒の場合には異動は難しいという答えでした。そのため,次第に理系の大学院へ進みたいという思いが高まることになり,2002年4月に退職を決意し,入学を希望する研究室へ挨拶に行きました。先ほどの同級生も,この研究室に在籍していたのですが,後に指導教員となる先生とお話したところ,文系出身なので当然ですが,合格するのはかなり難しいと言われました。これ以降は,会社に勤めながら余った時間を利用して院試の勉強をすることにしたのですが,当然ながら,専門知識も全くないため,友人から教科書や過去問を借りたりしました。院試が8月でしたので,6月に会社を退職して勉強をすれば間に合うのではないかと思っていました。しかし,大学院生の方は分かるかもしれませんが,文系出身の人間が,2カ月や3カ月の勉強で合格できるようなものではなく,1年目の入試は,あっさり不合格になりました。もう,仕事も辞めていたため,その後の1年間は,ひたすら院試に向けて勉強をしました。働いていた時代の貯金を切り崩し,過去問に加えて専門知識を学びながら,ただただ勉強という時期でした。そして,2回目の入試でなんとか合格できたので,研究室の皆さんも非常に驚かれました。通常,研究室に入る学生は,学部の4年生から実験等に取り組むことになりますが,私は無職でしたし,これまで何の経験もないということで,合格直後から,研修生として受け入れて頂けることになりました。

2.京都大学大学院(修士課程・博士課程)
修士課程から博士課程まで在籍することになったのが,京都大学の農学研究科食品生物科学専攻の生命有機化学という研究室になります。この研究室では,「大腸発がん抑制作用を有する食品由来低分子化合物の探索」をテーマに,研究に取り組みました。MRをしながら,研究の世界に興味があることに気付いた時に,病気関連の分野に携わりたいと思ったのですが,特にどの病気への関心があったかというと,やはり,がんでした。たまたま,先ほどの友人がいた研究室もがんの研究をしていたというところで,そのまま,受験するに至ったという流れになります。修士課程は,2004年からスタートしたのですが,博士課程を含めた5年間のうち,2年半余りは,国内留学の形で金沢医科大学に所属して,動物発癌モデルを用いた研究を行わせて頂きました。これまでもお話しましたように,私は実験に興味があったので,ピペットマン1つに触れることにも非常にワクワクしておりました。しかし,これはすぐに打ち砕かれることになりました。例えば,PCRのように1㎕の非常に細かい量を取る作業があるのですが,始めは,得意ではありませんでした。そのため,なかなか実験が進まず,ネガティブデータばかりが出てしまうため,「ネガティバー宮本」と呼ばれた時期もありました。そして,修士も2年になりますと就職へ向けた動きも周囲では始まり,自分も考えてみようと思いました。ただ,せっかく会社を辞めて研究の道に来たのに,研究成果を全く出せていないということもあり,博士課程へ行くことにしました。ちょうどその頃に,金沢医科大学で学生を募集しており,大腸発がんの動物モデルを使った研究のアクティビティが高いことが分かりました。そこで,修士課程2年の途中から行くことになりました。それまで私が所属していた京大の研究室は,博士課程まで行くことを念頭に置いて,1人1テーマをしっかりと深堀するという方針でした。これに対して金沢医科大学では,1つのテーマを皆で分担して取り組むという方針だったため,成果を出しやすい環境にありました。そのため,早くも2006年には,筆頭著者としての論文を出すことができ,これが1つの大きな,ターニングポイントになったと,今になって思うことがあります。そして,2007年には,この成果を持ってアメリカがん学会に参加したのですが,ここで,後の留学先で指導教員となるローゼンバーグ教授に会いました。ポスター発表の会場に来て下さり,卒業後の進路について聞かれため,まだ決まっていないことを伝えると,ぜひ,うちに来て研究をしないかと言われました。元々,アメリカへの興味が非常に高かったことから,その場で,行く意思がある旨を伝え,その後も連絡を取ることとなりました。そして,金沢医科大学での研修を終えて,京都大学に戻り,学振のDC2の申請を出す時期になりました。この時点では,非常に成果を挙げており,論文は筆頭著者として,原著で1本,総説で1本と,共著で7本という状況だったこともあったのか,採択して頂くことができました。その後,2009年5月に学位を取得し,ローゼンバーグ教授にそのことを報告しました。ここで,留学を考えておられる学生の皆様に覚えておいてもらいたいのですが,アメリカでは留学の際にJ1ビザというのが必要になります。これを取るのに,非常に手間と時間がかかります。特にアメリカの大学の人事部は,日本のような速さでは,全くレスポンスしてくれないため,非常にやきもきした状態で手続きを進めることになることも多いですので,ご注意ください。

3.コネチカット州立大学
学位を取得した後,留学したのが,ローゼンバーグ教授のいるコネチカット州立大学です。コネチカット州をご存知の方は,ほとんどいらっしゃらないと思いますが,ニューヨークとボストンの中間くらいにあり,車であれば,1時間半くらいで,どちらにも行けるという,非常に立地の良い場所になります。ここでは,大腸上皮の発がんをテーマに,引き続き動物モデルを使った実験に取り組みました。現在もそうですが,これまでの研究は,主にマウスを使った実験を行っておりまして,ここではマウス用の大腸内視鏡を使った実験などを経験しました。がんというのは,基本的に未分化な細胞と言われているのですが,薬剤を入れて分化を誘導すると,進行を抑制できるのではないかという研究を行いました。結局,2014年8月に帰るまでの5年間アメリカにいたのですが,ちょうどJ1ビザの有効期間が5年でした。これ以上,滞在することを望む場合には,他のビザに切り替える必要があるのですが,手続きが大変になります。そのため,留学に行かれる方は,5年が一つの節目になるかと思います。留学生活の途中では,2011年の段階で2件ほど,助教に応募しませんかというお話を日本から頂戴しました。ただ,研究のデータが出始めたばかりの時期で,波に乗ってきたという感覚を自身では持っていました。このような時期に日本に帰るのは,勿体ないという思いがあったので,もう少し研究を続けたいという旨を伝え,アメリカに残る選択をしました。しかしながら,その後の研究は順調には進まず,2013年に筆頭著者の論文を1本執筆できたのみでした。そして,2014年にビザが切れるため,日本で転職しなくてはならない状況になり,取り敢えず,JREC-INや製薬企業のHPを見て,研究職で応募できるところを探してみました。ある程度の論文数に加え,留学経験もあることから,どこかには決まるだろうという気がしていました。しかしながら,転職活動を開始した2014年3月から8月の帰国までに,期間が短かったこともあり,自分の研究分野,希望に合うポジションというのが,そもそも限られていました。その結果,実際に応募できたのは,アカデミアが5件と製薬企業が1件でした。このうちアカデミアについては,1か所から好意的な返事を頂戴したのですが,日本で面接を実施して,万が一,採用に至らなかった場合,申し訳ないということで結局うまくいきませんでした。また,日本の製薬企業1社については,アメリカでの定期採用を行っているということで,面接をしてもらったのですが,結果的には,ダメでした。この時に,自分のタイミングで国外から日本のポジションを探すというのは非常に難しいということを実感しました。アメリカに行って研究をしていれば,何となく実績も出て,日本にも良いポジションで帰れるのではないかと考えていたのですが,全然,そういうことはありませんでした。最初のうちは,日本の先生方も覚えておられるため,採用に関するお話を下さるかもしれません。ただ,時が経つにつれて,先生方も周囲の学生のポジションを考える必要も出てきますし,アメリカにいるのであれば大丈夫かということになってしまいます。また,公募を出している研究室にとっても,日本から応募している方が気軽に面接もできますし,採用が進めやすいかもしれません。そのため,国外からの転職活動というのは,かなり厳しいという現状があることを認識しておいた方が良いのではないかと思います。なぜ,もっと早いうちから始めなかったのかということになりますが,最初の段階では,研究がうまく進んで,途中で失速した感じがあったため,何とか形にしたいという思いがありました。そのため,ビザを更新してアメリカで研究を続けるかどうか,ギリギリまで悩んでいたということもあります。ただ,アメリカには,結婚してから行ったこともあり,この時には子供もいなかったのですが,将来を考えると,安定して暮らしていきたいという二人の思いが重なり,最終的には,日本に帰る決断をし,帰国後に,改めて転職活動を再開しました。その際には,これまでお世話になった先生にご紹介頂いたポジションの確認に加え,転職支援サービスに登録しました。この転職支援サービスから紹介される職種というのは,研究職だけではなく,MRに似たMSL(メディカル・サイエンス・リエゾン)もありました。これは,博士課程修了者を中心に採用するということで,学術寄りの製薬企業のポジションでした。これ以外では,技術補佐員を研究室等に派遣する理系の人材派遣会社のポジションもありました。転職支援サービスの1つで,大学院生やポスドク,研究員のキャリアを支援してくれるCPPという会社があり,ここは,アメリカやイギリスでも実際に現地で,日本の企業を呼んで,その場で面接を行うイベントを開催しています。私は,帰国してからこのイベントに参加したのですが,現地にいながら日本企業の方と面接ができる機会というのは,なかなかないため,関心がある方は,覚えておいて頂ければと思います。実際に,企業の方とすぐに面接ができますし,面接の前には,CPPのスタッフの方が,必要なレクチャーをしてくださいます。また,面接を行うだけでしたら,お金が発生することもありませんので,ポスドクにとっては,有難いイベントです。このような転職活動をしまして,11月の時点で,理系の人材派遣会社から正社員としての内定を頂きました。自分の研究がうまく進まず,無職で帰国し,精神的にも落ち込んでいる中で,正社員として安定的に働けるのであれば非常に有難いという思いでまさに就職しようと思っていた時に,大学院時代の指導教員から,国立がん研究センターで,もう一回,ポスドクをしてみるのはどうかという話を頂きました。この時は,早く安定したいという思いが強かったのですが,紹介して頂いたことだし,せっかくだから話をお伺いしようということで,がん研究センターの先生に会いに行きました。そうすると,とても人柄の良い理解のある先生だったため,身分は安定しないのですが,好きな研究をもう一度やってみたいという気が湧いてきました。そこで,申し訳無かったのですが,先の内定は辞退し,がん研究センターに行くという決断をしました。これが,結局は,現在に繋がることになります。

4.国立がん研究センター
2014年から国立がん研究センターの予防医学研究室というところで,ポスドクを始めました。このセンターで私の上司となった武藤先生が,現在も私の上司で,京都府立医科大学の教授をされています。武藤先生は,日本全国で行われている「アスピリンで大腸がんを予防する」という臨床試験を行うとともに,アスピリンに続くような大腸発がん予防薬を探索する研究に取り組んでいました。詳細は省きますが,大腸がんの細胞の元気をなくすような薬について,既に世の中に出回っている薬の中から探すという研究でした。やはり,がん研究をしておりますと,国立がん研究センターというところは憧れがあり,着任後は,非常にテンションが上がって,多くのことを学びました。国の機関として,日本のがん治療をどのような方針で進めていくのか,予防についても,これからどのような方針で進めていくのかという部分の舵取り役を担っているため,その最先端の情報に触れることができるというのは,非常に良い経験になりました。ただ,アメリカから帰って来た時もそうでしたが,ここも非常勤のポジションのため,単年度更新で,すぐに任期が来てしまうという状況で,いつ切られてしまうか分からないという不安定な立場にありました。この時には35歳くらいでしたので,そろそろ安定したいという思いが芽生えてきました。そのため,がん研究センターにいる間に,製薬企業,国立の研究所,私立大学等に応募しました。この3つについては,JREC-INを使ったものではなく,ある製薬会社の研究所の所長をしていらっしゃる方から,研究員を増員するという話を伺ったり,学会で知り合った他の研究所の先生からポストに関する情報を頂いたり,知り合いの先生から私立大学のポストに関する情報をもらったりして応募しました。この際の転職活動は,人からの紹介に対して応募するということで,アメリカにいた時とは,方法が異なっていました。ただ,ここに関しても色々な競争がありますし,私にとっては厳しい結果になったのですが,その中で,佐々木研究所というところを紹介して頂きました。ここは,がん研究センターにおられた先生が,この研究所に移られて新たな研究室を立ち上げるところで,研究員を探すというタイミングでした。その話を,私が一緒に動物実験に取り組んでいた研究補助員の方から聞き,一度,話を伺ってみたらどうかということになりました。そして,行ってみたところ,とんとん拍子に話が進んで,9月から腫瘍細胞研究部というところで,研究を始めることになりました。

5.公益財団法人佐々木研究所
この佐々木研究所は,非常に長い歴史を持ち,がん研究に深い縁のある研究所なのですが,そのような場所で研究ができることになりました。この時の研究は,スキルス胃癌細胞に関するものです。これは,非常に進行が早く治療が難しいがんなのですが,なぜ,進行が早いのかというメカニズムを解明するということで,転移に関わるタンパク質の研究に携わりました。ここで,私の中で大きく変わったのは,それまでは,ポスドクという非常勤のポジションだったのですが,初めて常勤のポジションになりました。実際に変わる部分は多くはないのですが,自分の中では,非常勤と常勤というのは,大きな差があり,ようやく一人前の研究者になったという実感を持ちました。この佐々木研究所は,トータルで8人の研究員で運営されている小さな研究所ですが,雑務もなく,研究のみに専念できるというところで,他の研究所と比較しても,研究環境は非常に優れていました。ポスドク時代と比較すると給料も上がったのですが,毎年更新型の任期制のため,そこが常に不安材料になっていました。しかも,2017年の4月から5年後となる2022年の3月には,一度,研究部の存続自体についての評価が行われるということで,その評価次第では,研究部ごと無くなるという判断もあり得る状況でした。そうすると,また,職を失うという不安を常に抱くことになったのですが,研究環境としては,非常に恵まれていたため,研究に取り組んでおりました。そして,2019年4月頃になりますが,私に大学院受験を紹介してくれ,その後,大塚製薬で勤務していた高校の同級生から,研究員を募集するという話を聞きました。大塚製薬の製薬部門であれば,がんに関する研究ができる可能性もあったのですが,この募集は,栄養製品に関するポジションものでした。これに伴い,がん研究を離れなくてはならないため,大きな決断が必要になりました。実際に非常に悩むことになり,現地まで足を運んで考えたのですが,この時には既に子供もおりました。これから子育てをするにしても,任期制のため,いつまで継続されるか分からないという不安と闘いながら生きていくことへの疲れもありました。日本企業であれば,簡単にクビになることもないという安心感もあったことから,面接を受け,内定を頂くことができました。そして,カロリーメイトやポカリスエット,エクエルなどを扱っている大塚製薬の佐賀栄養製品研究所で働くことになりました。

6.大塚製薬佐賀栄養製品研究所~京都府立医科大学
ここは,企業の研究所なので,詳しい内容はご紹介できませんが,企業で研究をしてみて私の中で何が一番良かったかと言いますと,臨床試験を行い,その成果として論文を出すことができた点です。この時には,食事を摂ることによる脳血流への影響をみるという実験について,CROにも頼みながら,自分達で実施するという経験ができました。これが非常に大きな財産になったと感じています。企業の場合,研究費が非常に潤沢で,給料も上がりましたし,身分も安定しています。こういった面での満足度は非常に高かったのですが,がん研究ができていないという未練も感じるようになりました。そして,ちょうど悩んでいる頃に,京都府立医科大学の募集の話を聞きました。元々,研究の道を目指した時には,そのまま,助教,講師,准教授,教授という道を進んでいくのかなという甘い想像をしていました。当然,そういうことにはならず,これまでお話したような道を歩んできました。そのため,このアカデミアのお話を聞いた時に,今まで,経験もないため難しいのかなとも思ったのですが,長年の夢でもありましたし,挑戦してみようと決断して,今に至ります。2022年の4月から,念願のがん予防に関する研究を再開し,大腸がん予防薬の探索をしている状況です。初めてのアカデミアのため,これまで経験したことのなかった講義についても,四苦八苦しながらですが,対応しています。

7.振り返ってみた雑感
これまでを振り返ってみて,私の独断と偏見で,各機関のメリットとデメリットをまとめてみます。海外にポスドクとして行った場合のメリットとしては,アメリカの大学は非常に合理的で,研究に特化しています。また,研究費が潤沢で,他の分野の方々と出会うきっかけもあり,研究の自由度も高いと感じてました。ただ,デメリットとしては,人によっては英語で苦労することになりますし,アメリカに行ったからといって,良い論文が書けるということはなく,実力と所属する研究室に依るところも大きいです。次に,研究所の研究員であるメリットは,研究に専念できる環境があり,最新の情報が得られたり,臨床試験が身近であったりということになります。ただ,私の場合には,ポスドクだったため,身分が不安定でした。一方で,民間企業の研究員は,研究費が潤沢で,広く知られている商品に携わることができるということに加え,身分も安定しているのですが,意外と雑務が多かったり,他の会社の方と話す時には,会社の看板に配慮する必要があったりという部分がありました。現在は,がん研究を続けることができて,身分も安定しているというところで,非常に満足しています。ただ,教育という部分は,初めてになりますので,苦労をしながらということになります。医科大学ですが,自分は医師ではなく,分からない部分もあるため,さらに勉強を重ねていかなくてはいけないと感じています。今回,この講演の機会をきっかけに振り返ってみますと,長い人生の中で働いていく上で,自分がやりたいと思うことをやるというのがやはり大事かと感じています。一度,就職して,何か違うなと思ったら,ある程度のやり直しは可能かと思います。ただ,時間を戻すことはできないので,年を取ることになり,これによって,研究費の応募の年齢制限に引っかかってしまうケースも出てくることは,やむを得ないかもしれません。博士課程に進む際には,色々と迷うかもしれないのですが,自分は,本当にこれがやりたいと決まっている人は,非常に充実した時間を過ごすことができることになります。しかし,やりたいことが見つかっていないという人は,一度は,企業を考えてみるという選択肢もあるのではないかと思います。企業の場合には,皆さんがご存知のような製品に関わることもできるため,その分,やりがいを感じやすいという方もいるかもしれません。そこで,自分の思うようにいかない場合には,転職になるかと思いますが,転職は,タイミングと運が大きく影響します。特にタイミングは,自分が思っているよりも早い段階で来ますので,その波に乗れるかどうかが,成否の分け目になるのかなと感じています。そして最後になりますが,これまでで何が一番,良かったかといいますと,人との繋がりが増えたということです。アメリカ人ともそうですし,現地で知り合った日本人もそうですし,これまで日本でお世話になった方もそうです。こういう人たちが,ポジションの募集を紹介してくれたりするということにもなりました。実験は,1人ですることが多いですが,研究職として研究をして生きていく上では,人との繋がりが,非常に大事になってくるということを改めて実感した次第です。今回,このようにお話をする機会を頂戴しましたので,皆さんもご質問等があれば気軽にご連絡頂き,これを1つのコネクションとして活用して頂ければと思います。ご清聴ありがとうございました。

※ ご講演の後,参加した学生との間で質疑応答も行われましたが,内容については,省略します。
【文責:高等研究教育院 加治木紳哉】

2022年度

2022年度 第6回博士キャリアカフェを開催いたしました。

第6回 博士キャリアカフェ

民間企業でのキャリア活用事例 ~『研究-開発-実用』サイクルにおける研究者の役割~

【開催日】2023年3月17日(金)12:15~13:15 (オンライン開催)
【講師】 恩地 啓実 先生(JFEアドバンテック株式会社 海洋・河川事業部大阪営業部) 

今回は,大阪市立大学大学院工学研究科都市系専攻博士課程を2015年3月に修了され,(公財)海洋生物環境研究所で研究員として海洋環境の調査・研究に携わった後,現在は,JFEアドバンテック株式会社において海洋機器の販売営業に従事しておられる恩地先生に,ご自身のご経験に基づいた民間企業でのキャリア活用事例について,ご講演を頂きました。

1.モノづくりサイクル
 本日のテーマは,研究・開発・実用で構成される「モノづくりサイクル」になりますが,私の考えについて,簡単に説明したいと思います。まず,モノをつくるとなった時に,お客様が使われる際の要望があり,これに対応するために,研究を通じて,技術開発を行います。そして,この新しく開発された技術を製品に取り込んで,販売するというサイクルがあります。さらに,お客様に販売した後,使用して頂く中で,課題であったり,高度化への要望が出てきたりします。これに対して,新たな技術改良を通じて,バージョンアップを図りながら,より良いモノづくりを行うというサイクルが,循環していくことになります。このサイクルにおける研究者の役割について,本日は,皆さんと考えてみたいと思います。ご紹介頂きましたように,私は,2003年に大阪市立大学,現在の大阪公立大学の工学部に入学しました。最初は,エネルギー工学に興味があって,関連する科目を選択していたのですが,指導教官の授業に惹かれて,環境水域工学研究室に入り,海洋関係の研究テーマに関わることになりました。2009年に博士課程に進学したのですが,2年次で就職が決まったことから,一度,学位を取得せずに中途退学しました。しかし,2013年から社会人学生として博士課程に再入学し,2015年に学位を取得しました。海洋生物環境研究所では,海洋環境の調査や研究に従事していましたが,2020年に現在のJFEアドバンテックに転職しました。この際には,海洋業界を中心に活動を行いました。これまでの経験を活かしたいという思いもあったのですが,それ以上に,海洋分野の仕事に携わっていたいという気持ちが強くありました。

2.学生時代
 私の学生時代の話になりますが,修士課程では,大和川でアユが少ない原因について,地域の河川事務所や大阪府の水産試験場の方々と共同で研究に取り組みました。その際には,成果が新聞に掲載され,自分の研究が世の中の役に立っていることを実感し,やりがいを感じました。さらに,指導教官の評価もあり,博士課程に進学しました。最初の頃は,博士課程までは考えていなかったのですが,このような背景もあり,進学することを決めました。

3.海洋生物環境研究所
 最初に就職した海洋生物環境研究所の話になりますが,その前に,この研究所にとって重要なキーワードとなる温排水について,ご説明します。火力発電で発電を行う際に発生した熱を冷却するために海水を使用するのですが,これを海に戻す時の温度は,使用する前よりも温かくなっています。これを温排水と言うのですが,本来の海水温よりも温かい水が排出されることで,発電所周辺の魚類の生態系への影響が懸念されます。そのため,全漁連などの要望を受けて発足したのが,海洋生物環境研究所になります。発足当初は,温排水に関する調査がメインだったのですが,現在は,海洋に関する多様な調査に取り組んでいて,私は,アセスメント調査,地球温暖化に関する調査,放射能に関する調査に従事しました。まず,アセスメント調査というのは,発電所の工事や開発をする際に自然環境へ及ぼす影響について調査し,どういったことが予測されるのか,これを軽減するにはどのような措置が必要なのか,この措置によってどれくらいの軽減が可能かという評価を行うものです。地球温暖化については,ご存知の方も多いかと思いますが,温暖化に伴って海水温も上昇し,温室効果ガスの増加に伴って二酸化炭素も増加します。この二酸化炭素が海水に溶けることで,酸性化も進みますが,これが魚類の生態系に及ぼす影響について研究するものです。最後に,放射能ですが,東日本大震災以降,特に注目されるようになったもので,放射能が自然環境に及ぼす影響,さらには,水産物への影響などの調査になります。次に,これらの仕事のやりがいですが,アセスメント調査に関しては,調査会社がアセスメント調査を行う際に使用する手引を改良する仕事を行っていました。冒頭のモノづくりサイクルに関する説明でもお話しましたが,観測機器は,皆さんが使用していく中で性能も向上し,技術も更新されていくため,これに応じた新しい手引きを提案していました。そのため,影響力が大きいことから,仕事にもやりがいを感じていました。また,放射能については,水産物に関して測定されたデータを集めて,関係機関に送るという業務を担当していました。その過程の中で,放射能度の低い地域で採取した魚のサンプルについて,高いという情報を誤って発信してしまうと風評被害が起きますので,そういったことがないようにというプレッシャーは,強く感じていました。そのため,発信する前には複数の人間で確認を行っていたのですが,その責任の重さにもやりがいを感じていました。

4.JFEアドバンテック株式会社
 JFEアドバンテックの理念は,絶えざる技術の向上をもって,機械や技術,システムや装置の提供を通じて,社会に貢献するということで,モノづくりサイクルを続けていくということになります。具体的には,工場や発電所などの産業分野,水処理場やゴミ処理場などのライフライン,ダム,海,河川などの環境分野で使用する計量器や計測機器の開発と販売を行っています。その中で私は,海洋・河川事業部で技術営業として働いております。皆さんの中には,なぜ,研究職から営業職に転職したのかという疑問を持つ方もいらっしゃるかと思います。営業というと,製品を紹介して販売するという基本的なイメージがあるかもしれません。もちろんそういう一面もありますが,それだけではありません。最近は,SDGsの関係などで,これまで環境調査に縁のなかった業種からも問い合わせを頂くことが増えています。海にモノを設置するというと,簡単に考えられがちですが,実は,すごく難しいのです。当然,船での作業になりますので,限られた作業スペース内で,揺れる状況の中での作業が必要になったり,天候や海流の影響を常に考えたりすることが求められます。そういったことについても,我々が説明するのですが,自分が博士号を持っていることや前職での経験を話すことで,お客様からの信頼を得やすくなるのではないかと実感しています。時には,お客様の方から,調査の内容や機器の使い方だけではなく,研究の手法についてご相談を頂くこともあります。その際に,丁寧に説明して,納得した上で製品を購入して頂けた時には,やりがいを感じます。ただ,購入で終わるわけではなくて,その製品を使って得たデータについてご相談を頂き,解析のお手伝いをすることもあります。このようなお客様の研究の発展のお手伝いが,次の購入にも繋がるため,お客様と会社,そして,自分自身もウィンウィンの関係を築くことができるのではないかと思います。そのため,私の中では,研究者としての知識と経験が,現在の業務にも十分活かせているのではないかと考えています。

5.有害プランクトン(HAI)センサーの開発
 今日のテーマである「モノづくり」に関して,私が特に興味を持っている当社が開発した有害プランクトンを測るセンサーについて,紹介したいと思います。有害プランクトンが大量に発生しますと,養殖している魚に影響を及ぼし,斃死させてしまいます。多い時には数十億円規模の漁業被害が発生することになります。昨年,北海道の方でサケやウニが大量に斃死して大規模な漁業被害が発生したというニュースがあったのですが,その原因も有害プランクトンでした。もともと,植物プランクトンを検出する機械はあるのですが,種類までは判別できずに,量的なものにとどまっていました。これだけでは,有害種ということは特定できず,無害なプランクトンが大量発生しているのか,それとも有害な種が大量発生しているのかは分かりませんでした。そのため,採水して顕微鏡で確かめる必要がありました。そうすると,採水に行って,顕微鏡で1つ1つ確認するという作業が伴うため,時間と労力が必要になりますし,顕微鏡の使用には熟練度も求められます。このような背景から,有害プランクトンを測る機械の需要が多くありました。そして,大学の先生や水研などの研究者の協力を得ながら数年間,試行錯誤を繰り返す中で,FSIという指標を発見しました。無害プランクトンしかいない場合には,FSI値が低くなり,有害なプランクトンが出てくると値が高くなります。センサーで有害プランクトンがいるかどうかを確認して,いる場合には,その部分だけピンポイントで採水することで,かなり労力を抑えることが可能になります。現在は,このセンサーが九州地方を中心に多くの海域で使用されています。このように使用される中で,データも蓄積されていき,それらを解析することで,有害プランクトンの有無の判別だけではなくて,量的な評価に関する開発も進みました。そして,プランクトンの密度の定量化を実現しました。次の目標は,プランクトンの量と被害との関係になります。現在は,この関係についての研究も行われており,エサを減らすとか網を移動させるという被害の低減策が検討されています。このように1つが可能になると,次の課題というふうにサイクルが回ることが期待されています。冒頭でお話したモノづくりサイクルに,この有害プランクトンセンサーを当てはめてみますと,これまでは,顕微鏡で確認するという方法しかなかったことから,簡素化という目標が生まれました。これに対して試行錯誤を繰り返して,FSIを発見し,これを搭載したHAIセンサーの開発に繋がるというサイクルが出来ました。そして,データが蓄積されて,これを解析することで,定量化が可能になり,バージョンアップに成功しています。さらに,被害の低減策にまで話が進み,より良いモノづくりが期待されています。
このようなモノづくりのサイクルの中で,研究者としてどのような役割があるのかと考えてみますと,研究から実用の部分が主たる部分になるでしょうし,私自身も前職では,この部分を担っていました。現在,私が担っているのは,研究と開発を結ぶ部分であったり,開発とお客様を結ぶ部分であったりになるかもしれません。その際に,研究者としての経験,博士号取得者としての肩書というものは,十分に活かされていると考えています。今回は,私個人の実感,特に海洋分野の話になりましたが,このようなキャリアパスの例が,今後,皆さんがキャリア形成を考える際のお役に立つことができれば幸いです。

※ ご講演の後,参加した学生との間で質疑応答も行われましたが,内容については,省略します。
【文責:高等研究教育院 加治木紳哉】

2022年度 第5回博士キャリアカフェを開催いたしました。

第5回 博士キャリアカフェ

「民間企業1年目研究員の就活と仕事のリアル」

【開催日】2023年2月17日(金)12:15~13:15 (オンライン開催)
【講師】 立岩 斉明 先生(日本電信電話株式会社 ソフトウェアイノベーションセンタ) 

 今回は,2022年3月に九州大学大学院数理学府で博士(数理学)の学位を取得後,同年4月に日本電信電話株式会社に入社され,現在は,同社のソフトウェアイノベーションセンタに所属していらっしゃる立岩先生に,大学院での研究活動,私の就活,企業での研究活動,いまDr.で学ぶ皆さんへのメッセージという構成でご講演頂きました。

1.大学院での研究活動
 私は,学部,大学院とも九州大学で,研究は,分散処理や最適化,高性能計算を対象にしていました。昨年度,数理学の学位を取得して,今年度からNTTの研究所で働き始めました。本日は,博士号を取得して1年目の新入社員として,大学と企業との研究の違い等も含め,今後のキャリアパスの参考になる材料を提供できればと思います。
 大学時代ですが,私は,数理最適化に関する研究を行う研究室に入りました。研究室の特色の1つに,企業との共同研究があるのですが,学部4年から,製造工程の効率化に関する研究に取り組みました。具体的には,企業が抱えている困りごとから数学的に取り扱える課題を抽出して,これを解くためのアルゴリズムを考案し、プログラムを作成して問題を解くという内容でした。そして,博士課程に進んだ後は,スパコン等の複数の計算機を同時に用いて,最短ベクトル問題と呼ばれる問題の求解を高速化する研究に取り組みました。企業との共同研究の経験が,博士課程への進学や企業への就職のきっかけになったのではないかと思います。

2.私の就活
 次に,就職活動の内容についてお話します。就職活動を始めたのは,博士課程2年と3年の間の春です。面接を進めたのは2社になりますが,どちらも研究所でした。1つが製鉄会社で,もう1つが,現在,所属しているNTTになります。製鉄会社の方は,LabBaseという,学生と企業を結び付けるマッチングサイトがきっかけでした。これは,学生が自分のプロフィールを登録すると,企業の採用担当の方から連絡が来るという仕組みです。このサービスにプロフィールを掲載したところ,人事担当の方から連絡を頂き,実際にお話をして,採用フローに乗るという流れになりました。これに対してNTTの方は,エントリーシートの提出から始まる一般的なフローで進めました。
それでは,なぜ,この2社を選んだのかということですが,製鉄会社の方は,スカウトメールがきっかけでした。メールを頂いた後,会社のHPを拝見し,お話を伺っていく中で,自分が大学で取り組んできた「最適化の分野」,「製造工程の最適化」が活かせる環境であることを魅力的に感じ,興味を持ちました。NTTの方は,R&DフォーラムというNTT研究所の技術を公開するイベントに参加したことがあり,研究所は,多様な研究テーマに取り組んでいることを知りました。また,他の通信会社と比較しても潤沢な研究資金の下で,研究が行われているという点,豊富なグループ会社を持っている点も魅力でした。もし,自分が研究所で何らかの技術を生み出すことができたら,それを活かして世の中に貢献する際には,グループ会社を通した方が,障壁も少なく,応用もしやすいのではないかと考えたからです。
 次に,なぜ,学位取得後に,アカデミアではなく企業に就職したのかということになりますが,その前に,博士課程に進学した理由についてお話します。先ほど申しましたように,大学では,企業との共同研究に取り組んできたのですが,この中で,自分の知見や技術が,企業でも十分役に立つことが分かりました。そのため,博士課程へ進むと就職先が狭まる可能性もあったのですが,狭まった場合でも,これまで得た経験や知識を活かすことができれば,就職先が見つかるだろうという見通しがありました。また,企業に就職してから,社会人博士として学位を取得するよりは,学生の身分でストレートに博士課程へ進学した方が,負担が小さいのではないかとも考えました。就職後に学位の取得を目指して大学に入った場合,かなり大変ということは,研究室に在籍していた社会人博士の方々からも感じていました。さらに,大学では,リサーチアシスタントに採用されたことで,生活には困らない程度の収入が見込めたことも動機の1つでした。では,なぜ,学位取得後にアカデミアではなく企業に就職したのかということですが,これには,大きく分けて2つの理由があります。まず1つ目は,研究開発という点では,研究よりも開発にも興味があったことです。どのようなプログラムにすれば,処理が効率良く動くのかという点が難しいのですが,そこにやりがいを感じていました。そして2つ目は,共同研究を通じて,課題解決の面白さを知ったということです。この点に関しても,企業にいた方が,リアルな問題に取り組むことができるのではないかと考えていました。

3.企業での研究活動
 ここでは,企業での研究活動の内容や実際の生活について,お話したいと思います。NTTの中には,14か所の研究所や研究センタがあるのですが,現在は,その中の1つであるソフトウェアイノベーションセンタに所属しています。このセンタの中で,次世代データセンタに関する研究開発プロジェクトに配属され,オープンソースソフトウェアの開発に携わっています。大学でもスパコンといった分散計算環境を使用してきたので,その経験が生かされています。普段は,どのような業務形態かと言いますと,NTTは,リモートスタンダードという制度を打ち出していまして,私は,この制度の下で1年目から活動しています。要するにリモートワークで,自宅が勤務地になり,出社は,月に1回か2回です。グループでの進捗共有やプロジェクトのミーティングは,全てオンラインで行われます。これ以外の時間は,論文を読んで先行研究の調査をしたり,プログラムを組んで実装したりという内容で,活動自体は,大学時代と大きく変わらないという印象です。 
まだ,働き始めてから1年に満たない状況ですが,私が感じた大学と企業における研究活動の違いについて,4つほどお話します。まず,1つ目は,企業の方が,成果の出し方のバリエーションが多いということです。例えば,業務の1つであるオープンソースソフトウェアの開発では,論文の執筆だけではなく特許の出願,グループ会社への成果の提供,最新の研究動向に関する情報の共有があります。2つ目は,外注を活用してパワフルに研究が進められるという点もあります。自分の研究所は,研究資金も豊富にあるので,既存のオープンソースソフトウェアの性能に関する調査や動作の検証,グラフィカルユーザインタフェース(GUI)の実装等を外注しています。その上で,研究所では,よりコアな部分の研究を行うことで,作業の切り分けができるという点があります。3つ目は,研究テーマの設定に関するもので,事業に貢献するということが根本的な考えにあるため,どういう課題を扱うのか,この課題を解決した時に何が得られるのか,さらにどう活用できるのかという,入口(課題決め)と出口(活用先)については,上司としっかり相談して決める必要があります。ここには,制約があって,大学とは異なる部分になります。そして,4つ目は,必要な知識の幅と量です。現在は,データセンタ内におけるネットワークの最適化に関する研究に取り組んでいますが,実用化を念頭に研究を進めていくと,ソフトウェアの知識だけではなく,ハードウェアの知識も必要になります。例えば,ネットワークや光通信を行うためのデバイスなどの,大学の時よりも幅広い知識が必要になります。
皆さんは,企業の研究活動で,自分の所望する研究を行えるのかということが気になるかもしれません。私が新入社員研修で学んだことに,「Will-Can-Mustフレームワーク」というものがあります。この中で,自分が企業で研究できるのは,「Will」,「Can」,「Must」の3つの円を重ねてできる共通部分になるというものです。「Will」は,やりたい業務,「Can」は,自分ができる業務,得意分野や専門スキルになります。そして,「Must」が,やるべき業務,組織や社会から求められていることになります。業務としてできるのは,この3つを重ねた共通部分になるのですが,皆さんが,就職先を考える際にも使えるのではないかと思います。ただ,会社によって「Must」の部分が変わるため,自分の「Will」と「Can」の部分と比較してみたり,学部生の場合には,「Can」をどのように広げていくかということを考えてみたりすると良いかもしれません。
ここまでは,自身が感じた大学との企業との研究の違いについて述べてきましたが,情報処理学会の会報誌である『情報処理』2023年1月号にあった「先生,質問です」というコーナーから,別の例も持って来ました。この記事にあった,大学で教鞭をとっている方や大学と企業の双方を経験した方のコメントをまとめましたので,ご紹介したいと思います。まず,研究の自由度ですが,大学は大きいのに対し,企業は事業貢献という制約に縛られるという特徴があります。また,研究で何が重視されるのかという点について,大学では,新規性が特に重要視されますが,企業では,問題を解決することや実際に運用可能なことが問われます。次に,研究成果の公開については,大学は公開できますが,企業では,知的財産権の関係で難しい場合もあります。そして,予算については,大学では競争的資金を獲得する必要がありますが,企業だと,比較的潤沢な研究費の下で研究が可能です。最後に,実データの利用については,大学の場合,企業と共同研究を実施しないと難しいのですが,企業は,自社のものが利用できます。さらに,もう1つ興味深い視点としては,国の研究機関や民間企業での勤務経験がある丸山宏さんという方のコメントがありました。この方によれば,意思決定を行うスピードも会社によって異なっており,スタートアップでは10秒で行われることが,外資系企業では1日,国内の大手企業では1カ月,国の研究機関では1年かかるそうです。そのため,自分が何らかの成果を出した時に,それを世の中に少しでも早く反映させたいという希望がある場合には,就職先を考える際の基準になるかもしれません。

4.いまDr.で学ぶ皆さんへのメッセージ
 最後に,博士課程で学ぶ皆さんへのメッセージですが,就職活動を行う上で,「やって良かったこと」と「やった方が良かったこと」になります。「やって良かったこと」としては,LabBase等のマッチングサイトへの登録で,実際に自分も企業から連絡を頂きました。また,登録自体は,無駄になることはないと思います。スカウトが来るかもしれませんし,自身の研究業績をまとめ,就職先に求める条件を整理する良い機会になります。さらに,企業の口コミサイトの閲覧については,辛口のコメントが多めな点は否めませんが,企業の風土を知ることができます。そして,「やった方が良かったこと」としては,就職活動の幅を広げることになります。今回,2社で面接を進めたことをお話ししましたが,逆に言うと,2社しか進めなかったことになります。研究が忙しい余り,他の企業や研究所について深く調べなかったのですが,より自分が活躍できる場もあったのではないかという思いもあります。

※ご講演の後,参加した学生との間で質疑応答も行われましたが,内容については,省略します。
【文責:高等研究教育院 加治木紳哉】

2022年度 第4回博士キャリアカフェを開催いたしました。

第4回 博士キャリアカフェ

社会に活かそう「博士」のチカラ

【開催日】2022年12月9日(金)12:15~13:15 (オンライン開催)
【講師】 加藤 芽里 先生(キオクシア株式会社 技術改革推進部 参事) 

今回は,2006年3月に奈良女子大学で博士(理学)を取得し,NAND型フラッシュメモリのプロセス技術開発や技術者育成に従事され,現在は,キオクシア株式会社(技術改革推進部)で人材育成や技術発信業務に携わっておられる加藤芽里先生をお招きし,「博士のチカラ」とは何か,研究職から技術者(エンジニア)へ,そして今の時代におけるキャリア指針という3つの観点でお話頂きました。(*講演内容を基に,一部改訂しています)

1.はじめに
 皆さんには,将来の夢または憧れているキャリアがありますか?私は,“お茶の水博士”というアニメキャラクターの白衣に憧れ,「化学」に興味を抱きました。数学や物理が得意ではなかったのですが,その憧れを胸に理学部化学科を選択し,奈良女子大学理学部化学科に入学しました。その後,「化学」の学びを深めるために博士課程へ進学し,2006年3月に博士の学位を取得しました。同年4月から企業の半導体業務に従事し,10年間以上技術者(エンジニア)としてNAND型フラッシュメモリの開発に携わりました。この間,産休と育休も取得しています。その後,技術の企画業務に従事し,グローバルに活躍する技術者の育成や採用活動,技術と社会を繋ぐためのHPや漫画等の作成に携わっています。また自己啓発として,日本女性技術者フォーラム(JWEF)の活動にも参加しており,小学生向け夏休みプログラミング企画や女子学生向けのリーダーシッププログラムにも参加してきました。これらの活動が評価され,2018年日本女性技術者フォーラム奨励賞審査員特別賞を受賞しました。受賞者といえば,輝くキャリアを経ていると思われるかもしれませんが,私の人生はむしろ”失敗”の連続です。ただ,“失敗”という言葉にはネガティブなイメージがあるかもしれませんが,技術の世界において“失敗”は成功の源。私の”失敗”をお伝えすることが,皆さんの今後のキャリア形成の一助になれば,という思いから,今日はお話します。

2.「博士のチカラ」とは何か。
 皆さんに1つ質問があります。「博士の強みとキャリアの選択肢は?」と質問された場合,皆さんは何を思い浮かべますか?博士の強みといえば専門性,アカデミアに身を投じ論文を出すキャリアを思い描かれる方が多いのではと思います。しかし,私は「課題解決力」「課題設定力」そして「人を巻き込む力」を強みと考えています。その強みを武器に,企業で働き,製品を開発し,現在は社会と技術を繋ぐ「技術企画」という仕事に携わっています。今の仕事は自分の天職と思っており,毎日が楽しく,とても充実しています。そして博士を取得して良かったと,心から思っています。それは何故でしょうか?博士とは,「ある分野の専門家」だけを意味するのではありません。博士の英訳が Doctor of Philosophyであることを鑑みると,森羅万象における原理・原則を見出すのが,博士としての魂と私は考えています。「博士の魂」に恥じない仕事ができれば,キャリアの選択肢は無限にある,ということを皆さんにお伝えします。
 私の博士課程の研究テーマは,「糖リン酸エステルを用いた金属錯体の研究」でした。金属錯体というのは,金属イオンに配位子と呼ばれる分子が結合した化合物です。私は,糖にリン酸基を有する糖リン酸エステルの1つである「D-グルコース-1-リン酸エステル」に着目し,金属錯体の合成を検討していました。なぜ糖リン酸エステルに着目したかというと,人間が食べ物を食べて,デンプン,ブドウ糖,エネルギーと消化される際には,栄養分を分解するための触媒となる酵素があり,その活性中心に金属があるということが分かっていました。糖リン酸エステルを用いた金属錯体を合成することが出来れば,未知なことが多い酵素の機構解明に繋がると考えられていました。しかしながら,糖を利用した金属錯体合成は容易でないこともあり,その分野の研究は進んでいませんでした。私の取り組みは基礎的なものでしたが,合成できれば世界初の事例となり,将来的には社会にも価値を提供できるのでは,と考え,その挑戦をするために博士課程への進学を決意しました。 
研究室に入った頃は,どうしたらいいのか分らず,“失敗”ばかりでした。先生に怒られ,自分を振り返って気が付いたことは,「出来ない」という自身の思い込みが,研究遂行の阻害になっているという事実でした。それに気が付いてからは,“失敗”を成功の源と考え,自分で考えて研究を進められるようなりました。しかし,誰もやったことがない研究の場合,結果が出ても,それが正しいかどうか分からない。実験の再現性を何度も確認し,論理的に説明できるかどうかの検証を重ねました。結果が正しい場合は仮説も考えるのですが,当初は専門領域のバックグラウンドがないので専門書や論文を読んでも内容を理解できない。そのため,更に専門書や論文調べ,自分の中で知識体系を構築するように努めました。課題解決の方法は,無数にある。その中で,次はどの選択肢を選択ぶのか。膨大な実験を行い,日々試行錯誤を繰り返す中で,自分なりのアプローチ法を少しずつ確立していきました。
私自身が博士課程の中で真に身に付けたことは,この仮説と検証のプロセスを繰り返すことができる知識,チカラ,と思っています。私は,そのチカラを「課題解決力」と定義しています。学生時代は,実験,原因分析,仮説構築,戦略立案,それら1つ1つの経験を含む専門性が,博士のチカラと思い込んでいました。今振り返るとそういった個々のチカラより「課題解決力」,更にその課題を解決するためのゴール設定を行う「課題設定力」の方が,森羅万象における原理・原則を見出す博士の魂,つまり真なる「博士のチカラ」ではないか,と考えています。
 
3.研究職から技術者(エンジニア)へ
 数年におよぶ試行錯誤の結果,私は,糖リン酸エステルの遷移金属多核錯体の合成に成功しました。世界初の合成事例だったのでアメリカ化学会の雑誌にも掲載され,個人としても日本化学会学生講演賞を受賞しました。論文が発表された際の興奮は今でも覚えていますが,同時に世界は変わらない,と気付きました。1つの基礎研究論文で世界は変わらない。当然かもしれませんが,全身全霊で研究に取り組んでいた自分にとっては,変わらない世界の中で1人研究を続けることに限界を感じ始めていました。その影響なのか,ある日,研究室で意識を失い,救急車で病院に搬送されました。医者から「脳腫瘍があるかもしれない」と言われ,精密検査までの間,入院を余儀なくされ,死を意識しました。偶然そこで,同年代の女性に会いました。彼女は中学校卒業後に就職し,脳疾患を発症,手術を重ねていました。私が自分の将来に不安を抱きながらふと横を見ると,彼女はベッドの上で一生懸命英語の辞書を引いて勉強していました。「英語が好きだから,学びを深めたいの。」そう言う彼女の姿は,私にとって大きな衝撃でした。若くして社会に出て,病気になっても勉強している人がいる。自分は社会に出ることなく,親や奨学金に頼りながら学んでいる。「このまま終わりたくない。学びを活かして社会に貢献したい。」と強く思い,民間就職を決意しました。
民間就職といっても,選択肢は無数にあります。そこで改めて,自分が本当にやりたいことは何だろうと考えました。元来,人が好きということもあり,社会とは関わりたい。同時に,自分が「化学」を好きと思う気持ちの本質は何かを考え抜き,「モノづくり」なんだと気付きました。そこで,「人の笑顔に繋がるモノづくり」という言葉をキーワードに設定して,就職活動を始めました。しかしながら,就職活動は“失敗”の連続でした。今振り返ると,就職活動には「時代」,「社会」,「運」という3つの要因があります。私の時代は,就職氷河期であり,企業における女性かつ博士の採用枠は非常に狭かったです。更に,当時の自分は,就職活動の面接を誤認していました。例えば,「自己PRありますか」と聞かれた際,「実験と分析のスキルがあります」,「人が好きです」と安直に答えていました。今ならば,「仮説と検証を繰り返し,粘り強く課題に取り組み,解決に繋げられます」,「大きな課題に取り組む際には人を巻き込む力が重要で,私はそのチカラがあります」と答えるでしょう。就職活動では,企業の立場に立った訴求ポイントを伝えることが重要です。「就職」と「採用」は同じ活動を別の立場で説明する言葉ですが,企業の立場で考えると,採用は会社の将来に役立つ未来の社員を獲得する手段です。そのため,面接で伝える内容は,自分が会社に必要な人材であるという根拠です。
 私が就職した2006年頃,NAND型フラッシュメモリは,社会全体で普及し始めていました。博士論文を書き始めた頃は,ZIPという記憶媒体を使用していましたが,ある日NAND型フラッシュメモリを利用したUSBメモリが登場し,形状が小さくなったのにメモリ容量は2倍と増え,とても驚いた記憶があります。NAND型フラッシュメモリは,フローティングゲートという導体への電子の出入りをメモリの「1」と「0」として利用しており,その機能によって人間の脳と同じように記憶します。今は,スマホで写真を見たり音楽を楽しんだりすることが当たり前の世界になっていますが,もしもメモリがなければどんなに大切に想う人の顔ですら,人間は忘れてしまう。この製品こそが,自分が思う「人の笑顔に繋がる製品」だと確信しました。更にNAND型フラッシュメモリの開発には企画・設計から開発・評価量産の過程において,理学から工学に至る様々な分野の知識が必要です。学問の総合芸術とも呼ばれる「究極のモノづくり」である点にも魅了され,その実現を担う技術者(エンジニア)になりたいと考え,入社に至りました。
大学と企業を,課題に対するアプローチそしてやりがいという2つの観点で比較します。課題に対するアプローチですが,私の大学の研究室は小さかったので,常にほぼ1人で実験を行っていました。対して企業では,数十人から数百人のエンジニアがチームで開発を担います。半導体の開発では昼夜を問わず実験が進んでいるため,結果となるデータを可視化し,すぐにチーム全体で課題を理解し,改善策を立て実行するという作業を日々繰り返します。そうやって製品開発や量産を行い,世界中の人に製品を届けます。この業務の中で,「博士のチカラ」である「課題設定力」と「課題解決力」が,大きく役立ちました。更に,多くのエンジニアが関わっているため,「人を巻き込む力」も必要になります。私は,この3つを強みとして,エンジニアとして仕事に邁進しました。やりがいに着目すると,研究の成果は論文や学会発表ですが,エンジニアの場合,自分が関わった製品が世の中に出るのが成果で,その瞬間は非常に嬉しいです。目前にあるスマホの中に自分が携わった製品が入っている。世界中の人の笑顔に繋がっているという実感は格別です。さらに,その喜びを共有できる沢山の仲間がいる。企業で働くエンジニアのやりがいはそういった所にあるのでは,と思います。一方,開発や量産にはスケジュールが決まっています。更に,収率や性能/品質そしてコストのバランスをとり,利益を出す。それが,企業のミッションです。各々トレードオフの場合も多く,解決の道は困難に満ちています。だからこそ大きなやりがいを得られるのも,企業で働く醍醐味ではないかと思っています。

4.今の時代におけるキャリア指針
 今の時代は,技術の変化が非常に激しいです。そのため自身の学びを深めるだけではなく,広げることも重要と考えています。そして,「深める」/「広げる」という2つの方向で自身の成長を実現していくというのは,皆さん自身の中に多様な専門性を創出することになり,大きな強みになると考えています。多様性は,イノベーションの源泉だからです。
皆さんは「キャリアに正解がある」と思いますか?私は学生時代,就職し,結婚,出産,両立,昇格という右肩上がりのキャリアを歩むのが正解だと思っていました。しかしながら,今これら一連のプロセスを経験して思うことは,「キャリアに正解はない」ということです。就職以降の選択は,勿論本人の努力に依る部分もありますが,運も影響してくると思います。自分が希望しても叶わないときもあり,人生はそんなに単純ではないというのが,実感です。そのため「自分のキャリアは他人と比べず,自分で作る」ということを意識してほしいです。 
エンジニアを経て,今,私は技術企画という仕事に携わっています。「博士なのに研究開発をしないのですか?」と問われることもありますが,自身が最も会社に貢献できる形は何かを考えたとき,技術企画のキャリアを選択したいと自分で決断しました。天職と思える仕事に出会えたことで,今本当に仕事が楽しく,この選択は正しかったと思っています。「博士のチカラ」として身に着けた「課題設定力」,「課題解決力」,更にエンジニア経験で培った「人を巻き込む力」も十二分に活用することができ,非常に充実しています。

5.おわりに
 最後に改めて質問です。「博士の強みとキャリアに正解はあるでしょうか?」私の答えは,「正解はない」です。専門性を強みにアカデミックで働いてもいい,培った力を活かし企業で働いてもいい。どんな形にしても,1人1人の心の中にある「博士の魂」に恥じない仕事をすることができれば,自分らしいキャリアを実現することは出来る,それが皆さんの幸せに繋がると私は信じています。
「遠回りは人を豊かに 寄り道は人の魅力に そしてまわり道は人の年輪を刻む」
これは私が高校時代に見つけた言葉です。博士課程に進むと周りより卒業が遅くなるので,後ろめたさを感じる方もいるかと思います。しかし,是非,博士過程にいることを誇りとし,自分らしいキャリアを見つけて下さい。皆さん1人1人の幸せを,心から願っています。
ありがとうございました。

【文責:高等研究教育院 加治木紳哉】

2022年度 第3回博士キャリアカフェを開催いたしました。

第3回 博士キャリアカフェ

自分らしいキャリア~やりたいことに正直に~

【開催日】2022年10月21日(金)12:15~13:15 (オンライン開催)
【講師】 塩谷 優子 先生(ダイキン工業株式会社 TIC担当課長) 

今回は,2007年3月に京都大学大学院工学研究科高分子化学専攻で博士(工学)の学位を取得後,ダイキン工業株式会社に就職され,現在は,同社のTIC(テクノロジー・イノベーションセンター)で担当課長として勤務されている塩谷優子先生に,大学入学前から現在に至るまでのターニングポイントにおける選択とその背景について,ご講演を頂きました。

1.自己紹介
 私が今まで歩んできたキャリアには,自分で選んだ道だけでなく,もちろん外的要因で開かれた部分もあります。しかし,その所々でどのように考えて判断してきたのかという部分を振り返ってみると,自分らしくやりたいと思ったことを基準に選んできたと思っています。それを踏まえて,今回は「自分らしいキャリア~やりたいことに正直に~」というタイトルとさせて頂きました。(フライヤーの)プロフィールにもありますように,大学は京都大学ですが,出身は東京で都立高校を卒業しました。その後,京都大学工学部の工業化学科に入学し,高分子化学専攻の修士課程,博士課程に進みました。そして,2007年3月に博士課程を修了した後,同年4月にダイキン工業株式会社に入社致しました。

2.ターニングポイント①:京都へ
これまでの自分を振り返ってみると,幾つかのターニングポイントがあったと思います。まず1つ目は,高校を卒業して,京都へ行くと決めた時でした。東京出身ということもあり,高校や地元の同級生は,都内の大学に進学する方がほとんどでした。東京には,国公立と私立の大学がたくさんあるので,実家を出て他の地域の大学に行くという発想すらありませんでした。家から通える範囲の国公立かなと漠然と考えていました。高校3年生の11月に志望校のキャンパスを見に行った際,理系のキャンパスということもあり,今までの共学のクラスの賑やかな雰囲気とはかなり異なり,ちょっとイメージと違うなという印象を持ちました。そこから,大きく受験科目を変更することなく受験できる国公立ということで京大に決めました。その時点では,京大に行くことすなわち親元を離れるということをあまり現実の事として捉えていなかったと思います。何かしらの強い意志があったわけではなかったので,いざ,京都に引っ越すとなると,実家や友達とも離れますし,関西には全く知人もいなかったため,行きたくないという後ろ向きな気持ちでした。ただ,母からも「就職と一人暮らしが同時に始まるのは大変なので,学生のうちに一人暮らしを経験した方がいい」とのアドバイスもあり,また自分自身も,行きたくないと思いつつも,最終的には京都に行くことを選ぶだろうなと直感的に感じていました。京都での学生生活が私にとって本当にかけがえのない出会いにあふれた貴重な時間だったので,母が強く背中を押してくれたことにとても感謝しています。

3.ターニングポイント②:修士課程修了後,博士課程へ
 2つ目のターニングポイントは,修士課程を修了する時でした。理系の学部だったので,学部で卒業して就職する方はごく稀で,ほとんどが修士課程に進み,私自身も進学しました。ただ,修士課程修了後に博士課程に進む人は,全体の10%前後しかいない状況だったため,修士1回生の終わり頃には,就職活動を始める方も出てきました。私もその流れの中で,就職活動にも取り組んでみました。しかし,自分が所属していた研究室だけは,博士課程に進む方が多く,私を含めた5名の同期のうち,私以外の4名が,かなり早い段階から博士課程へ進むことを表明していました。5人中4人が進学するというのは,非常に稀なケースだったのですが,皆こういう研究をやりたいと明確に決意していました。博士課程を修了するには博士論文が必要ですし,今までのような学生気分とは異なる茨の道で,精神的にも大変ということは,理解していました。そこに4人とも飛び込むということに,非常に刺激を受けました。この後も少し就職活動を続けたのですが,自分が就職した後に,博士号を持った彼らを見ると,厳しい道を乗り越えた彼らが羨ましく映るだろうなと感じました。羨ましいと思うということは,それが自分のやりたい事です。それを感じた時に,自分も飛び込んでみようと決意しました。またちょうどその頃,取り組んでいたテーマで結果が出始めており,大きく広がる展望が描けそうなところでした。ここで自分が修了してしまうとそのテーマは後輩に引き継ぐ形になるので,自分で始めたこのテーマを自分の手でやり遂げたいという思いもありました。
博士課程では,テーマにも先生,仲間にも恵まれ,結果を出さないといけないというプレッシャーもありながらも,非常に充実した貴重な研究生活を送ることができました。さらに,研究だけでなく,様々な経験をすることができました。自分自身にとって,大きな経験となったのは,アメリカのミシガン大学に2か月短期留学させて頂いたことでした。たった2カ月だったのですが,一人で,感受性の豊かな学生時代に海外に飛び出すというのは,非常に大きな経験だったと感じています。自分の会社員生活の数年分に匹敵するくらいの濃密な刺激を受けた時間でした。この留学の中では,「自分のキャリアは自分で選択する」という当たり前のことに改めて気づかされました。留学生の中には,フランス人の学生もいたのですが,「どうして,沢山の選択肢があるのに日本の京大の博士課程に進学したのか」ということが話題になりました。私の場合は,修士課程を修了した後は,博士課程に進学するか企業に就職するかの二択で前者を選んだつもりでした。しかし,フランスから単身でアメリカの大学に進学している彼の話を聞いていると,沢山ある選択肢の中から自分自身でこれを選んだという強い意志を持っていることが伝わってきました。私自身も「なぜ,自分がこの研究室で進学したのか」ということを改めて考え直し,「強い意志を持って何かを選択していきたい」と思うようになりました。つい,目の前に見える選択肢しかないように思いがちですが,選択肢はたくさんあること,そしてその中から,自分はこれを選んだと胸を張れるようにしっかり考えて選びたいと思いました。

4.ターニングポイント③:ダイキン工業入社
 ターニングポイントの3つ目は,ダイキン工業への入社です。博士課程修了後の進路について考えた際に,キーポイントに置いたのは,自分自身の思い描く未来でした。やりたいことの1つに,自分の家庭を持って子供を育てたいという思いがありました。大学の有機合成や高分子合成系の研究室は,朝早くから夜遅くまで実験に取り組み,土曜日も実験することが当たり前です。その状況のまま,子供を育てるイメージが全く湧きませんでした。もちろん,自分がパイオニアとなって,道を切り拓くことはできたかもしれませんが,そこまでの勇気は持ち合わせていませんでした。大学よりも企業の方が,仕事と子育ての両立サポートは充実していますし,将来が描きやすかったのは事実です。また,大学以外の企業における研究開発も知ってみたいという気持ちもあり,ダイキン工業に入社しました。
入社後は,化学の研究開発部門に配属されました。そこで,空調用新規冷媒ガスの開発,水処理膜の検討,新規フッ素樹脂の開発,表面機能剤の開発を担当しました。この4つのうち,水処理膜の検討,新規フッ素樹脂の開発,表面機能剤の開発については,私が大学の研究で取り組んでいた高分子化学の領域ですが,空調用新規冷媒ガスの開発については,全く専門外の分野でした。これは,当時の研究部門のトップの方の判断で,自身の専門分野である高分子化学をそのまま活かすよりも,会社で扱う他の領域も学ぶことで,幅広い知識を持ち,活躍して欲しいという意図がありました。大学と同じ分野であれば,最初こそ仕事はやり易いかもしれませんが,技術の幅を広げる機会を失っていたかもしれません。より柔軟に吸収できる若いうちに,幅広い分野を深く勉強する機会を与えてくださったことに非常に感謝しています。

5.ターニングポイント④:出産,子育て
 入社してからのターニングポイントの1つは,出産と子育てになります。入社7年目で,最初は男の子,次は双子の女の子を授かりました。私のキャリアを語る上で,会社とプライベートは別個のものではなく,双方が影響し合うものと考えています。キャリアを考える際には,会社だけではなく,人生における自分の生き方と捉えるので,出産と子育ては,大きなターニングポイントでした。出産前は,1つの会社に勤めているという感覚でしたが,子供が生まれてからは,子供に対する責任もありますし,自分がこういう家庭を作りたいという思いもあります。そのため,もう1つの家庭という会社をどのように理想的な形にしていくか,仕事と家庭という2つの会社を回しているような感覚になっています。2つとも責任を持ってやらなくてはならないことがあり,その時々によって,優先順位をつけ,バランスを取る働き方に変わってきています。

6.ターニングポイント⑤:異動,昇進
 入社してからのターニングポイントの2つ目は,異動と昇進になります。このターニングポイントで,これまでの化学の研究から労務管理と人材育成担当へ,大きくジョブチェンジしました。同じR&Dセンターの中で,技術系から事務系の業務に変わり,合わせて昇進しました。今までの化学の分野であれば,ある程度,内容も知っていますし,自信もあったのですが,全く知らない分野に飛び込むことになりました。さらに,その分野に関して自分よりもずっと詳しい方達を,マネジメントする側になったことが,非常に大きな転機でした。研究開発部門にいた時には,大学との共同研究や学生のリクルーターの経験もあったので,学生の皆さんとお話をしたり,どの分野が向いているのかを考えたりということについては,面白さも感じていました。その部分は,現在の業務にも活かせると感じています。ただ,スキルも経験もない分野へのジョブチェンジであることに変わりはなく,ここで自分は何を求められているのか,自分が今後どのように進んでいきたいかと真剣に向き合う機会になりました。同志社大学も含め,ダイキン工業は,色々な大学と包括連携を結んでいるので,その中で人材育成にも関わりますし,化学の技術者として関わることもあります。今までの労務管理・人材育成の仕事の枠にとらわれずに,技術者としてできる事,やりたい事もやっていきたいとも思っています。博士課程修了の際には,アカデミアに残ってパイオニアになる気持ちは持てませんでしたが,今はロールモデルがいてもいなくても,前例にとらわれず,何をするべきか,そして自分はどうしたいか,と自分自身に向き合って今後も進んでいきたいと思っています。

※ご講演の後,参加した学生との間で質疑応答も行われましたが,内容については,省略します。
【文責:高等研究教育院 加治木紳哉】

2022年度 第2回博士キャリアカフェを開催いたしました。

第2回 博士キャリアカフェ

「博士が民間企業で働くという選択肢 就職活動で選択肢を広げたい人に向けて」

【開催日】2022年7月4日(月)12:15~13:15 (オンライン開催)
【講師】 新倉 純樹 先生(KDDI総合研究所 シンクタンク部門 コアリサーチャー)

第2回目となる今回は,2017年9月に本学総合政策科学研究科で博士(政策科学)の学位を取得された後,民間研究所や非常勤講師等を経て,現在は,KDDI総合研究所(シンクタンク部門)に勤務されている新倉純樹先生に,ご自身のご経験についてご講演頂きました。

1.自己紹介
 現在は,KDDI総合研究所でコアリサーチャーとして,リサーチに関連する仕事に携わっています。KDDIは通信企業ですが,通信以外に関する研究にも取り組んでいる研究所になります。主な担当業務としては,企業から依頼を受けて新しいサービスや生活者に関する調査を行い,レポートや発表に取りまとめるというものです。私の博士論文は,「世代間政治力格差と財政運営」で,現在の業務とは異なる,政治に関するテーマでした。有権者が投票に行くことによって,財政運営や財政支出は,どう変わるのかという内容でしたが,データを使う実証的な分析だったので,この点では,現在の業務とも繋がりがあるかもしれません。こういったスキルを使って,仕事に取り組んでいるという感じです。
 現在に至るまでの経歴ですが,もともとは,本学の経済学部を卒業しました。学部時代から,自分の興味のあることについて調べることが好きだったので,もう少ししっかりとしたものを書きたいなという思いから,総合政策科学研究科の修士課程に進学しました。ただ,修士課程に在学中から,修了後に博士後期課程に戻るまでの間に,ベンチャー企業の立ち上げにも携わっていました。ここで得たお金で,博士課程後期課程での生活費を賄っていたという状況です。なお,博士後期課程についても,戻りたいという強い意志よりは,修士課程でやり残したものがあるという思いがありました。研究者になりたいというよりは,まだ,やりたいことがあるという純粋な興味でした。そのため,自身のキャリアについて,あまり真剣には考えていなかったかもしれません。もし,うまくいかなかった場合には,また,ベンチャー企業の立ち上げなどに関わることが出来ればという心境でした。その後,博士論文の執筆が終わって学位を頂き,民間企業や大学への就職活動にも取り組みました。その結果,現在とは別の研究所に勤務し,本学の非常勤講師も担当しました。そして,2020年から転職活動を開始し,KDDI総合研究所に着任したという状況です。

2.具体的な就職活動
 就職活動で,具体的には何をやったかという話になりますが,大体,博士後期課程の3年目の冬くらいから,活動を始めました。基本的には,JREC-INを毎日確認するというもので,これが日課になっていました。この時に,自分の専門分野に関するものが出ていれば,必ずチェックしていました。ただ,絶対に大学でなくてはという感じではなかったので,民間企業の公募が掲載してある場合もチェックしていました。また,JREC-INに出ていなくても,自分が興味のある企業,評判の良い企業については,その企業の採用に関するページを見ていました。特に,博士後期課程修了前後では,新卒と転職の双方のポジションについても確認していました。そして,自分が合いそうな方に応募してみるという状況でした。面接までは,スムーズに行ったりする場合もあるので,その際には,人事の方々に新卒と転職のどちらが良いかを相談してみることもありました。また,民間企業の場合には,紹介制度(リファラル)があったりするので,大学院に入る前からの友人に,民間企業への就職も視野に入れていることを伝えておくようにしました。ただ,何よりもまずは,選択肢を常に増やせるように考えていました。もちろん,全く興味のない分野には応募しませんでしたが,大学,民間企業,官庁にも応募してみました。個人的な実感では,良い意味で,あまり深く考えずに応募するというのも大事かと思います。

3.大学と民間,就職活動って何が違う?
 実際に就職活動に取り組んだ経験からですが,大学と民間では,どこが異なっていたのかという点について考えてみたいと思います。まず,大学ですが,既に応募された経験がある方はご存知かと思いますが,大学ごとに書式が異なり,全く転用ができません。西暦で書いたり,和暦で書いたりと,「年」だけでも記入方法が違うのです。そのため,作成するたびに,結構なエネルギーが必要になります。また,最近はWeb応募の場合もありますが,郵送も多いため,送料や書類の印刷代も馬鹿になりません。これに対して民間は,書式を指定してくることは少なくて,メールやHPのフォームからの応募も可能です。1社あたりにかけるコストが,大学と比べるとかなり低いです。そのため,ご自身が興味のあるところには,どんどん出して良いかと思います。また,大学の方は,論文や学会,教育歴の有無を重点的に記述する書式であるのに対し,民間は,論文等については,アチーブメントとして書くことがありますが,その際に得たスキルを前面に出した方が,受けが良いのではないかという印象を持ちました。自分の場合には,統計を使って実証的な分析を行っていたので,この点を強調しました。そして,面接については,(自身の経験に加え,周囲からの伝聞も含めますが)大学の場合だと1回もしくは2回で終わりますし,1対多数のことが多いという印象を持っています。私の経験では,一番少ない時で3人でした。多い時は,7人~8人いらっしゃったような気がします。また,模擬授業をやってくださいという大学もありました。質問の内容としては,自身の研究だけではなく,地域への貢献であるとか,学生への対応について聞かれたように記憶しています。民間の場合には,1対少数の場合が多く,最多でも3人という感じでした。もちろん,企業によって採用プロセスは異なるので,一概には言えませんが,大体,2回から3回実施されるという印象でした。これらを経て,意思確認を行うための最終面接という場合もありました。聞かれたことを一般化すると,大学と似通った部分もありますが,自身の専門分野以外の業務でも対応できるかということでした。

4.広がる活躍の場
 先ほど,自身のスキルを前面に出すことも重要と申しましたが,これまで民間企業では就職がないと言われていた分野でも,少しずつポジションが増えているので,目を向けてもらえたらと思っています。例えば,ソニーが,文化人類学のリサーチャーを募集したことも話題になりました。また,日本の事例ではありませんが,Googleやappleが,哲学や倫理学系の研究者を雇用して,近年の「ポリティカル・コレクトネス(political Correctness)」への対策として,個人の権利関係について,形而上学的な観点から検証するというポジションも生まれているようです。自身の場合には,データを使えるということが,就職の際の1つの要因になったと思うのですが,そうでない方々にも新たなポジションが生まれつつあるので,一度は,企業に目を向けてみても良いのではと考えています。特にGoogleなどは,博士号や修士号を必須とすることが多いので,採用に関するサイトを見てみる価値があるのではないかと思います。これらは,絶対に,JREC-INでは見つからない情報です。また,博士号を必要としない場合でも,レポート作成やリサーチに関するポジションが見つかることもあります。採用する側も,そこまで高いスキルや能力は求めていなかったという場合もありますが,話をしていくうちに,そういうこともできるのであれば,こういうこともやって欲しいということで,話が広がる場合もあります。そのため,ご自身が関心のある企業については,採用に関する情報を確認してみることも重要です。

5.最後に
 これまでの経験を踏まえたメッセージ的なものになりますが,興味のある分野から,民間企業を探してみるのも良いのではないかと思います。大学とは異なる,思いがけない出会いがあるかもしれません。そして,現在は,大学への就職は厳しい状況になっていますが,必ずしも大学だけが選択肢ではないと思うことができれば,就職活動も精神的に楽になり,それが,結果的に,自分の行きたいところに行けることに繋がるかもしれません。

※ご講演の後,参加した学生との間で質疑応答も行われましたが,内容については,省略します。
(文責:高等研究教育院 加治木紳哉)

2022年度 第1回博士キャリアカフェを開催いたしました。

第1回 博士キャリアカフェ

「キャリアパスを考える ~ 志と遊び心と惰性のバランス」

【開催日】2022年6月6日(月)12:15~13:30 (オンライン開催)
【講師】 長谷 芳樹 先生(ピクシーダストテクノロジーズ株式会社 事業本部 シニアエンジニア)

第1回となる今回は,2006年9月に本学工学研究科電気電子工学専攻で博士(工学)の学位を取得された後,奈良医大,神戸高専を経て,現在は,ピクシーダストテクノロジーズ株式会社に勤務しておられる長谷芳樹先生に,ご自身のご経験について,「志」,「遊び心」,「惰性」,「結果」の4つの観点からお話頂きました。

1.はじめに
 2006年9月に本学の工学研究科において学位を取得した後,奈良県立医科大学で医学部のポスドクとして勤務し,神戸市立工業高等専門学校に講師として着任しました。その後,准教授を経て,現在は,ピクシーダストテクノロジーズ株式会社に勤務しています。この間には様々な分野の研究に取り組んできましたが,今ではそれが本当に良かったと思っています。ご自身の専門を極める方もいらっしゃるでしょうが,自分はあまり得意ではなかったので,色々なものを組み合わせながら取り組んできたという感じです。このように幾つかの職場を渡り歩いてきたのですが,振り返ってみますと,明確な「志」というものはなかった気がします。ただ,「遊び心」はありましたし,「惰性」でやってきた部分もあるかと思います。しかし,「惰性」も悪い面だけではないので,その点も含めて本日はお話をしてみたいと思います。「志」,「遊び心」,「惰性」の3つのうち,自分はどれかが突出しているわけではないのですが,そこそこ揃っていたので,意外とそれが活かされていると感じています。偶然うまくいっただけかもしれませんので,1つのサンプルとして聞いてください。

2.志
 「志」という言葉を小学館の『精選版 日本国語大辞典』で引いてみますと,「心中で,こうしよう,ああしようと思う心の働き。心が,ある方向をめざすこと」や「ある方向を向いている心の働き」と書かれており,方向性を示していますが,自分も「志」をベクトルと考えてきました。ただ,あくまでもベクトルであって,目的地ではないのです。本日の参加者は博士後期課程の学生と伺っておりますので,何年くらいで論文を書いて,何年くらいでこのポジションに就いてという「将来像の精度」を上げている方は多いと思いますが,これは「志」ではなく,最後のゴールです。それはそれで良いのですが,「志」が具体的過ぎると目標になってしまいます。もちろん,目標は大事なのですが,これがズレそうな仕事はしないということになります。ただ,何か不測の事態,ポジティブでもネガティブでもそうですが,面白い話が舞い込んできた時に,これが目標とは違うと思ってしまうと,何も進まなくなってしまいます。こういうことを避けるために,目標ではなく方向性を持っていたいと考えています。後でお話しますが,自分の場合には,論文を何本書いて,このポジションに就いてという崇高なことは考えておらず,音楽や聴覚が好きというのがあったので,この分野で面白いことが出来ればいいなと考えていました。あくまでも現時点ですが,現時点から過去を振り返ってみますと,この考え方で良かったなと思います。


3.遊び心
 次に「遊び心」ですが,「直接,業績になるかどうかは分からないけれども,何か面白い気がするから手を出してみる」というマインドも大事ではないかと考えています。もちろん,これは論文になりそうだとか,この人とこのような共同研究をすると成果が出そうという判断基準で動く方もいらっしゃいます。このような考え方も短期的には非常に大事ですが,それが,5年後や10年後に役立つかどうかは予測できないと思います。そのため,「何か面白い奴がいた」と記憶に残してもらうことも重要かと思っています。日本ではこのような戦略をとっている人は少ない気がしますが,自分はできるだけ実践するようにしています。存在自体を認知してもらっておくと,面白いことが始まる可能性があります。これはどの場でも実践可能で,質疑応答の際の気の利いた質問,国際会議でのプレゼン,バンケットやランチでも構いません。専門性を深めることも重要ですが,それだけで生きていける人は本当に一握りで,色々な分野同士を繋ぐということがこれからは大事になっています。多分野横断の領域が価値を持つようになっているので,自身の顔を売るということも重要かと思います。ほとんどが空振りになるかもしれませんが,10年後くらいに復活してくることもあります。

4.惰性
「惰性」という言葉は,ネガティブに捉えられがちですが,自分はこれも必要と思っています。たとえ加速度がゼロでも,速度がゼロでなければ何かは進展するので,無理やり抗ったりせずに,周りに身を委ねる勇気を持つのも悪くないと考えています。何かの可能性をもらったら,もしくは見つけたら,抗わずにとりあえずやってみようというマインドも大事です。ただ,自身の本業ではないということで「頼まれ仕事を60点」でやるというのは逆効果です。「あの人は最低限のことしかやらない」,「興味のないことに関しては手を抜く人」と思われないようにすることも大事です。なぜこのような考えに至ったかというと,「志」で述べた部分と重なりますが,将来はどうなるかということは分からないからです。誰とコラボレーションするかとか,どういう研究テーマが次にホットになるかというのは,分かるわけがないのです。本当に基礎研究をやっている方は別かもしれませんが,そうではなくて,コラボレーションやシナジーでやっている方の場合には,分からないので,自分で方向性を決めて「こっちだ」というのは危険かと思います。外してしまった場合にはリカバリーが難しいです。イメージとしては,「a=F/m」の「F」を大きくするのは労力が要ります。加速度を生み出すには,意思が必要です。これに対して「m」は小さくすることが可能ということです。この「慣性モーメント」を下げておくと,自分では「強制力」を加えていなくても,面白い話が外から来た時に違う方向に進むことも可能になります。例えば,ポジションの選択,テーマの選定,共同研究者とのコラボレーションにおいて,自分はこれがメインだからというのではなく,周りから話が来た際に,「面白そう」と思って乗ってみるのも大事ではないかと考えています。テーマの選定やポジションの選択をこのような感覚でやっている方というのはあまりいないかもしれませんが,自分は,「惰性」で転職をしてみたりしているので,そう思います。「こういうポジションでなくては嫌だ」とか「このテーマができないと」という方もいますが,それはそれで大事です。そういう方がいないと基礎研究は進みません。ただ,それはそれとして片手間でやりつつ,他のこともやってみようかという考え方も面白いのではないかと思います。そのため,自分は色々な大学や研究機関と共同研究に取り組んでいます。

5.志と遊び心と惰性のバランス
「志」と「遊び心」と「惰性」のうち,どれか1つが突出していても成功するかと思いますが,自分のように突出していない人間でも,それぞれがそこそこあったらうまくいくのではないかなと思っています。もちろん,これ以外がダメと言っているのではなく,これ以外でも成功している方は沢山いらっしゃいますが,自分はこうだったということです。
ここで,もう一度考えてみますと,「志」については,自分は,意識が高いという意味での「志」は持っていませんでした。ただし,自分の時間やお金を投入してでも,何か面白いことをしたいという意識は常にありました。特に高専では,担任になって家庭訪問に行ったり,クラブ活動の顧問をしたりと多忙でしたが,何もしないままでは終わってしまうという危機感があったので,何か面白いことをしたいという意識は常に持っていました。しかしながら,目標を持っていたわけではありませんでした。また,「遊び心」については,深めるということは得意ではなかったのですが,色々な方々と関わるかとか,勉強会に参加してみるなどの活動は行っていました。そして,「惰性」については,キャリアパスなどはあまり考えずに,直感で転職しました。その結果どうなったのかといいますと,色々と遊んでいたということが,結構大事でした。周りを見てみますと,現在所属している会社でも,あれもかじってこれもかじってという方は意外と少ないです。共同研究についても,前職の時,前々職の時の人脈にお世話になっています。ただし,新しい分野を創成できるような業績,超一流の研究者になれるような業績というのは,自分の戦略では生まれていないので,これを目指す人には,参考にはならないかと思います。
また,自分の就職と転職のきっかけを振り返ってみますと,全部「惰性」だったことが分かります。奈良医大は,元々所属していた研究室が共同研究を実施していたのですが,教授から「ポスドクを採用するそうだから行ってみてはどうか」と言われました。もちろん拒否しても良かったのですが,それまでの超音波の研究に加えて,自分でも聴覚や可聴音の研究がやりたかったので,渡りに船ということで行きました。次に神戸高専については,「公募が出ている」という話を聞いたのが最初です。ポスドクの任期は4年ばかり残っていたのですが,試しに応募してみたところ採用になりました。ただし,教育機関であることも考慮し,研究以外の教育の部分についても自身のプレゼンではしっかりとアピールしました。次に,現在のピクシーダストテクノロジーズについては,研究者向けの求人サイトであるJREC-INで公募を見つけました。神戸高専はテニュアの身分だったのですが,研究会で知り合った研究者の会社ということで,軽い気持ちで応募したら採用されました。プレゼンでは,「やってきたこと(専門分野)」や「できること(スキル)」について,具体例を列挙しました。あくまでも1つの事例に過ぎませんが,自分の例は,このような感じでした。
最後に,今日の話を振り返ってみますと,「志」と「遊び心」と「惰性」のバランスによって,多くの方々と交流を持つことができ,予期していなかったような道が開けたのではないかと思っています。

※ご講演の後,参加した学生との間で質疑応答も行われましたが,内容については,省略します。
(文責:高等研究教育院 加治木紳哉)

その他others

研究・産官学連携に関連するページやウェブサイトへのリンクはこちらです